仕事してのヨガ5
- mina shimizu
- 6月16日
- 読了時間: 3分
前回の仕事としてのヨガ4で書いたように
別居して離婚に至るまで約4年かかりました。
最後は、判決離婚というとても珍しい形で離婚が決定しました。
通常は、和解で離婚が成立するらしく、裁判所の判決で離婚が決定するのは、1-3%ぐらいだと言われました。
私が離婚の裁判をしている間に知り合いは、離婚して再婚した人がいるぐらい長い期間がかかりました。
離婚は、結婚するよりかなり、エネルギーがいりました。
離婚が決まったら、住んでいた家を出て行かなければなりませんでした。
その頃、レッスンのほとんどを家でやっていたので、自宅スタジオがなくなるのは、大問題でした。
また公民館などを借りてレッスンを始めることもできたかもしれませんが、その頃は、一度生活をリセットしたかったんだと思います。そのような考えに至りませんでした。
別居後なので法的に問題は、ありませんが、その頃、お付き合いしていた人がイギリス人だったので、離婚が決まったら、新規一転イギリスに移住しようと考えていました。
イギリスのビザ取得は、とても高額(当時£1300)で書類なども複雑で難しいのですが、パートナーと協力して、翻訳なども全て、自分でやりました。
また、ビザ取得のため、IELTという試験で一定以上のスコアを出さないといけないので
英語の勉強も頑張りました。
無事に一度目のテストでビザ申請に必要なスコアは、取れましたが、
1度目のビザ申請時に書類の不備があり、
支払ったお金がパーになってしまい、挫けそうになりました。
しかし、2度目の申請でビザの取得が出来ました。
イギリス移住が決まったので、全ての仕事を辞めることにして、沢山の人達に声援を頂いて、無事にレッスンを終了する事が出来ました。
ここでイギリス人のパートナーとイギリスで素敵な生活を送りました。
めでたしめでたしならよかったのですが…
ヨガの仕事は、やりがいがあり、大好きでしたが、一家の大黒柱としてお金も稼がなければいけないので精神的に疲れていたのだと思います。
生徒さんの数に一喜一憂するようなことも少しありました。
ヨガの仕事は、収入が安定している夫のいる奥様の仕事かもしれない。
私のような母子家庭には、難しいのかなと
考えたりもしました。
そんな時に心の支えになってくれたのは、イギリス人のMでした。
辛い時期に私に寄り添ってくれていたから乗り越えられた事も沢山ありました。
しかし、彼には、仕事がなく、結局私が養っていたようなものでした。
日本で仕事は、見つけられなかったのですが、自国に帰れば、さすがに仕事を見つけて働いてくれるだろうと思ったのもイギリスに行くことに決めた一つの理由です。
私は、イギリスでMに頼って生きていこうなんて、私らしくもない馬鹿な妄想を抱いていたのです。
冷静に考えれば、なんと危険な賭けに出た事か!それも子供を巻き込んで…
もちろん、家族と親しい友人には、反対されましたが、Mも仕事を見つけて頑張ると言っていたので、イギリスでの生活に希望を持って旅立ちました。
本当に危険な旅立ちだと知らずに…
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
次回は、イギリス生活について書きたいと思います。



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